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“倖せ”の正体
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倖せとは、満たされること
じゃあ、満たされてない場合は不幸せ?

希望や夢という言葉は、
満たされてない未来に向かっての
前向きな気持ちのことだと思う。

このことからも、満たされてないから、
不幸せというわけじゃないことが分かる。

人は、どのような環境や状況にあっても、
満たされたことと、満たされてないこと
両方を抱えているものだ。

満たされていることに気付かず、
満たされてないことに不平・不満を持つこと、
これこそが不幸かもしれない。

生きる姿勢に、倖せになる人の能力が現れる。

満たされていることには、深く感謝し、
満たされてないことには、希望や夢を持てばいい。

希望を断ち切ることを絶望というが、
見方を変えれば、絶望からさえ希望を見出すことができる。

哲学や、信仰を持つことが必要だと思う。


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【2009/11/27 18:00】 | “倖せ”の正体
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「今日は、考えがまとまらないので、
思い浮かぶフレーズを流れのままに書いてみたい。」


自分を大切にする人は、他人も大切にする。

自分の命がどうでもいい人は、他人の命もどうでもいい。

自分を信じられる人は、他人も信じることができる。

自分さえ信じられないのに、他人を信じられるわけがない。

愛されて育った人は、自分を愛することを学び、
やがて、人を愛するようになる。


愛された経験の乏しい人は、自分の欲のために人を好きになる。
強制的に愛を求めて、DVやストーカーにもなり得る。



毎年、自殺者が約3万人いるという。
自殺者は、自分を大切にしているとは言えない。
その予備軍も含めると、自分を大切にしない人が
この国に何万人といることになる。

ということは、当然、他人も大切にしない人がそれくらいいる。
すなわち、犯罪予備軍がそれだけいるということでもある。

その人たちがそうなった一番の根源は、
たった、一つ

「愛された」という経験の欠如である。

全ての人間は、ただ単純に、愛されることを望んでいるに過ぎない。

初めに愛されて、それで次ぎのステップで、
人を愛することができるようになるのが人間だから。

すべての子供たちを、愛情で育てること。
それが、人間と社会を倖せにする一番の方策だと思う。

そのために、政府があり、社会があり、学校がある。

全部が一丸となって、自分と他人を大切にすることを学ばなければ

社会のシステムそのものが崩壊してしまう。

さあ、わが子を抱きしめよう。
それが、その子を倖せにし、
その子に関わる人々を倖せにし、
地球を倖せにすることになるのだ。



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【2008/08/25 10:11】 | “倖せ”の正体
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あるがまま
全ての記事を読ませて戴きました。

随分と沢山の未承認コメントがありますね。

寄せられた公開コメントを未承認のままにするのは、フェアーな行為ではありませんね。

有言実行で生きましょう


福地海
ありがとうございます。
随分と長い間ほっておいてすみません。
いっぱいあった、アダルト宣伝系コメントを全部消去しました。
これから、また少しずつ頑張っていこうと思います。どうぞよろしく。

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第4話の「人生の目的」のところで、述べたが、
人生の最終目的は、みんな同じだと思う。
それは、「倖せになる」ということ。

そこで、倖せについての基本的なことが
分かってないと、ずいぶん遠回りしてしまう。

人は、どんな金持ちにも貧乏にも
神から平等に与えられている「誕生」と「死」がある。

その誕生と死の間にあるのが、人生というもの。

その人生に幸福をもたらすものとは、
決して「物」ではない。

生命を維持するために、基本的な「物」は必要である。
しかし、人生を維持するためには、「心」が必要である。



心を満足させるのが、物ではないことに
早く気付いた人は、倖せのゴールに近づいている。

倖せとは、心の「喜び」のこと。
人の喜びは、一人ぼっちでは得られないものである。

だから、人間という言葉がある。

人の間にこそ、喜びがあり、逆に哀しみもある。

いい人間関係は、その人に倖せをもたらす基本的なものである。


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【2008/07/05 10:26】 | “倖せ”の正体
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久しぶりに更新する。
やっぱ更新しなくなると訪ねてくる人も少なくなるね。
また、頑張ります。
さて、今日は、「物を欲しがる」という状況について考えてみた。よろしく!


欲しい物は、いっぱいある。

この状態は、2つの捉え方ができる。

1つは、今その欲しいものを手にしていないという事実。

もう1つは、「欲しい」という感情(夢)があるという事実。


上記の状態は、不幸な環境と捉えることもできるし、
希望がいっぱいあるので、幸福と考えることもできる。

あまりにお金持ちになり、
欲しいものが何でも手に入る状態になると、
人は、あまり物を欲しなくなるらしい。

お金持ち達は、社会貢献すればいいけど、
暇を持て余して、大人になりきれないでいたりする。
パリス・ヒル○○なんか、「何やってんだか?」
って感じだしね(幼なすぎる)。

あまり若いうちから、贅沢するとよくないと思う。
お金があるのがあたりまえの生活って、
幸福の中にいて、倖せを感じきれない不感症みたいなもの。


恵まれすぎると、その価値自体知ることができない。

関係ないかもしれないけど、地元の観光地にいは
なかなか行かないというのに似てる気がする。

私の住んでいる地域には、東洋でトップクラスの
鍾乳洞(玉泉洞)があり、平和の礎という公園もあり、
首里城もある。

実は、首里城は1度も行った事がない。
(自分の大学は、その首里城にあった、今は移転したけど)

それよりなにより、本土から観光客がうらやましがる
青い海はすぐ近くにあるのに、ここ何年も泳いだことがない、
ちゅうか、泳げない! ダイビングはライセンスあるけど・・。

(話それた・・・)

欲しい物があるという場合。
「物が無い」という状況を見るのではなく、
「欲しい」という希望があることに注目したい。

これから、それを手に入れる喜びがあるということだから。

でも、中年になると、さほど物には、こだわらなくなってきた。
だって、健康が一番!

ああ、釣りしに行きたい~!


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【2008/05/13 10:56】 | “倖せ”の正体
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こんにちは
久美子
はじめまして、よく見に来てます。また遊びにきます。

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人の思考には、2つの種類がある。
肉体に属する思考と、霊(魂、心)に属する思考である。

肉体的思考は、快楽、安楽、安全、快適などを求める。
肉体的思考はどうしても、身体的快楽に影響されたりする。
身体は、物体だから、物体の持つ性質に影響されている。
それは、慣性の法則である。

慣性の法則とは、
「動いているものは、いつまでも等速直線運動をし、
静止しているものは、いつまでも静止し続ける」
という性質である。

つまり、物は自ら運動したり、変化したりしない性質がある。

なにかしようとするとき、それをおっくうがる気持ち、
「難儀~!」と言って、動こうとしない、
新しいチャレンジに、前向きになれない、など
とにかく、楽していたいという気持ちとなって、
肉体的思考は、我々を物へと近づける。

一方、霊的思考は、自分のあるべき理想へと
自分自身を近づけたいという願望を持つ。

現実の自分を、理想の自分へと変化させたいのである。

これは、向上心や意欲となって、
積極的に、チャレンジしていく精神を表している。

我々は、常にこの2つの思考を戦わせている。

例えば、
肉体的思考が霊的思考に勝てば、
ダイエットは失敗する。
勉強もはかどらない。
挫折も味わう。
やがて絶望へと至り、
何もしない、「物」へと落ち着く。
ただ、快楽だけをよしとするようになる。


そうならないために、
肉体は滅びても、霊は滅びない。
そういう精神的な信念を
もっと大切にしたい。

肉体よ、お前は、俺の霊に従え!

俺は、俺の精神であって、俺の肉体ではない!
肉体よ、お前は滅びる運命だが、
俺は、霊だから滅びないんだ。

これが、意思というエネルギーなんだ。


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【2008/04/04 09:36】 | “倖せ”の正体
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倖せになるために、守るべき優先順位を考えてみました。
色々な分類の仕方があり、様々な考え方がある中、
できるだけシンプルに3つを選びました。

次の3つの要素が、人の倖せに最も深く関係していると思います。

1. 「心」とは、考え方、哲学、人生観、価値観など
2. 「体」とは、身体そのもの、健康と美容、清潔など
3. 「外」とは、外的環境のこと。お金、仕事、成功、趣味、娯楽など
 


ところが、この順位がどうも逆になってしまっている場合が
世間で多く見られます。
それが、倖せになれない原因になっているとさえ思えます。

仕事で成功して、お金持ちになるために
に無理をさせて、健康を害しつつも、
夢は膨らみ、他人を蹴落として、を踏みにじり、
成功ばかりを夢見ているようです。

成功が、倖せを保証してくれているように思っています。

しかし、勘違いしてはいけません。

成功した人が、倖せ者というわけではありません。
倖せになった者が、成功者なのです。
 


だから、まず、倖せになりたいのなら、己の哲学をもたなければいけません。
何のために、何を求めて、自分の人生を形作るのか。
それが、最優先なのです。

自分の「心」を守らずして、倖せは訪れないのです。


そして次に、健康を害さないように努力しなければいけません。

体の自由が利かないと、倖せになるための活動が大きく阻害されるからです。

1番と2番を基礎ベースにして、3番目の活動をするのが
倖せになるための、確実な道だと思います。


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【2008/03/17 10:26】 | “倖せ”の正体
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生きていると、有頂天に舞い上がる日もあれば、
どん底に落ち込んでいるときもある。
そして、人は時々、人生をやり直したいと思ったりする。
もう一度、自分を取り戻したいと思うのである。

人は、「理想の自分」と、「本来の自分」と、「現実の自分」
という3つの自分を持っている。

舞い上がっている時は、
「本来の自分」< 「現実(今)の自分」 ≦「理想の自分」
という公式が当てはまるかもしれない。

逆に落ち込んでいる時は、
 「現実の自分」 <「本来の自分」<「理想の自分」
という公式かもしれない。

この場合、「本来の自分」というのが、
自分としての「原点」である。

「理想の自分」は、「本来の自分」より常にプラス側にある。

しかし、「現実の自分」は、
プラスになったり、マイナスになったり日々変動する。


落ち込んでいるときの「現実の自分」は
原点より、かなりマイナスの方向にある。

だから、理想はもとより、原点を見つめるだけで、
辛くなる。
原点に戻りたいけど、今はマイナスだから・・・
一歩踏み出したところで、原点はまだまだ遠い・・・


これでは倖せになれません。

この考え方を変化させましょう。

落ち込んだときには、
原点に戻ろうとしないで、原点を今の自分に移動させましょう。

落ち込んでいる今が、常に原点なら,
あとは、たった一歩踏み出すだけで、プラスになります。

いつも、今の自分をあるがままに受け入れて
そこから、理想の自分へ向かって歩み出すのです。

原点は、常に今日、今、この瞬間なのです。


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【2008/02/21 17:06】 | “倖せ”の正体
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前回、倖せとは「能力」であるという話をした。

今回は、その能力とは、“想像力”のことであるという話。

ある人に、将来プロのピアニストになる夢があった。
しかし、とある事故で小指を切断することになってしまった。
彼は、夢を失い、とうとう自殺してしまった。

普通の人が、小指を失ったからって自殺することはないだろう。
小指を失ったからって、困ることは指切りできないくらいだから。
ときどき○―さんに間違えられるのは困るけど・・・。

さて、彼が倖せになるために必要だったのは、
ピアニストになる「夢」ではなかった。
たとえ、夢が破れる自体になろうと、次の夢を見るための
“想像力”が足りなかったのである。

想像力が足りないと、狭い範囲内でしか
想像力が発揮されない。

彼の場合、小指を失えば、プロのピアニストとして
やっていけないという想像しかできなかったのである。

「石の上にも三年」ということわざのように
じっくり腰を据えて継続してやることも大切だが、

時には、臨機応変に、コース変更することも
人生には、必要である。

「継続」も「変更」も、想像力があれば
夢を創造する力が生まれる。


「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。」という聖句がある(旧約聖書伝道 7:14)。

しかし、あえて言うなら、私は逆にしたい。
すなわち
「順境の日には考えよ、逆境の日には楽しめ」

逆境の時こそ、想像力が育つよい機会である。
この逆境を乗り越えた先を創造するのだ。

逆に、順境の時には、あえて楽しもうとしなくても楽しい。
だからこそ、おごり、高ぶりにならないように
考えることが必要になる。

想像力こそ、倖せの原動力となる源である。


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【2008/01/26 10:45】 | “倖せ”の正体
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「倖せとは”能力”である。」 

お金持ちだから幸福?
健康だから幸福?
恵まれているから幸福?

とんでもない!
これら全部を持っていながら自殺する人だっている。

貧乏だから不幸?
病気だから不幸?
恵まれてないから不幸?

とんでもない!
それらの環境の中にいて、
倖せを感じている人もいる。

そうだ。
倖せとは、その人が持つ「能力」に他ならない。

能力がある人は、どんな環境になっても、倖せになることができ。
能力の無い人は、どんな環境になっても、倖せになれない。

心の中にこそ、その原点がある。

心を守らずして、生活は守れない。
心を元気にせずに、幸福は訪れない。

いついかなる時でも、
「心」を育てることが、
人生にとって最も大切なことである。

と私は思う。


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【2008/01/18 14:24】 | “倖せ”の正体
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くま
こんにちは。
別のブログから来てくださったと言うことで、こちらにお邪魔しました。

私の好きな名言で
『 人間を変えるものは環境ではなく、自分自身の内なる力なのです 』(ヘレンケラー)というのがあって
こちらの『 倖せとは“能力”である 』 に(勝手ながら)似てるように思いました。

つい置かれている環境を責めたい気持になりますが、そうじゃなくて自分の心持ち次第で“幸せ”にも“楽しく”も出来るハズ・・・と私も思います。
・・・・・・・と言っても、まだ私は奮闘中の身でありますが(^^;)ゞ

“心”や“想像力”を育てる努力も改めてしてみようと思います。
またお邪魔させてください。



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2007年もいよいよ今日まで、明日からは、2008年となる。

今晩、除夜の鐘が108回鳴る。

人間の煩悩の数らしい。

一説によると、人間の、「眼、耳、鼻、舌、身、意」の6根に、

「気持ちいい、悪い、何も感じない」の3種を掛けて、

さらに、「きれい、きたない」の2種を掛けて、

現在・過去・未来の3つの時を掛けると、全部で108つになるそうな!

この煩悩、いわゆる強欲というものが、人間を苦しめる根源であり、

それから、自由になることを、「解脱」というらしい。

しかし、人間がその欲から抜け出るのは、かなり難しいことだといえる。

何故なら、大晦日に除夜の鐘で煩悩を払う決心をした人でさえ、

年明けて、翌日の初詣では、神社に「商売繁盛、家内安全、無病息災」をお願いしている。

それが煩悩だっちゅうーねん!

欲はなくちゃ生きていけないものだし、悪いものではないが、

この身の変わりようは・・・・・

 「いかなる状況になっても、動じない心を賜りますように!」 と私は願おう。


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【2007/12/31 12:05】 | “倖せ”の正体
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よく怒る人は、こう感じてるみたいです。
「自分は怒りたくないのに、相手が怒らすようなことをする。」

でも、それはあきらかに間違いです。
人は、怒るか怒らないかを自分で選択して、感情に出しています。

会社の上司には怒らないのに、同じことを部下に言われたら怒るのもその証拠。

怒っている人や、その状態は、倖せではありません。

できるだけ、怒らないように自分の感情をコントロールしましょう。

人が、自分と他人を評価するとき、次の4つのパターンがあります。

1.自分は○、相手も○
2.自分は○、相手は×
3.自分は×、相手は○
4.自分は×、相手も×

このうち、怒りとは、2番の「自分は○、相手は×」という感情だと思います。

つまり、自分の得意分野で、相手の不得意分野を攻撃しているのです。

サッカー選手が、野球選手相手にサッカーで勝負するのは、フェアーではありません。
逆もそうです。
人は、誰しも得意、不得意分野があります。
自分ができるからと、人を怒っている人は、自分の不得意分野は棚に上げているのです。

人は、自分のことを棚に上げてしか、人を怒れないのです。

自分が怒っているとき、自分は「自分を棚に上げている状態である」ことを自覚しましょう。
フェアーな試合ではないのです。

相手が、できないところは、出来る自分が補い、
自分ができないところは、相手に補ってもらうと、人間関係がうまく行きます。

怒りは、倖せの反対の感情です。怒った人が損害を被るのです。 

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【2007/12/14 11:27】 | “倖せ”の正体
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何かの病気になって、寿命を告げられると、人は大きなショックを受けるものである。
しかし、たとえ健康な人でも、寿命を告げられると、やはりなんらかのショックを受けるものだと思う。

“寿命”って、みんなそのことを知っているのに、知らんふり。


人は一日のうちに、誕生と死を仮体験している。
目覚めが「誕生」、睡眠が「死」である。

今日一日が、人生のすべてである。
人は、いつだって“今日”という一日の中でしか生きることができないのだから。

いつも死を覚悟して、潔く生きよう。
夜が明けたら、儲けもんだと思え!また一日の猶予が与えられたと。

沖縄の琉歌のにこういう文句がある。
「生まりらば 同歳(ちゅとぅし) 後先(あとぅさち)や知らん」
(生まれたらみんな同じ年、後先はだれも知らない)

だからと言って、試験の前の一夜漬けのように生きるのは、よくないね。

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【2007/11/19 09:43】 | “倖せ”の正体
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人の行動や感情は、すべて「意識」が決定しています。

意識できる「意識」を顕在意識といい、
意識できない「意識」を潜在意識(無意識ともいう)といいます。

人の行動や感情は、無意識な部分が大きいといわれていますが、それとて意識であることには変わりありません。

だから人は、本能的な生き物ではなく、まさしく意識的な生き物なのです。

つまり、意識を変えれば、ものの見方が変わり、感じ方が変わり、行動が変化し、生活が変わり、人生が変化するのです。

倖せになれるかどうかは、「日頃からどんな意識を働かせているのか」ということだと思います。

物や環境を整えようとする前に、心の意識改革を図ることが重要です。

幸福とは心が感じるものだからです。


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【2007/11/13 10:06】 | “倖せ”の正体
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19年間努めた職場を退職して、1年間母親を介護していました。そして今年また再就職!
退職する前や、再就職する前は、「変化」を恐れていたように思います。

人は、幸福の中では、「このまま時が止まればいい」などと変化を恐れ、
不幸の中では、「ああ私の人生は終わりだ」などと変化しないことを恐れます。

しかし、世の中は諸行無常、変化しないものは何もありません。
変化を恐れるもなにも、必ず状況は変化するものです。

だから、変化を楽しむように生きるのです。
まるで、天気のように、変化の中でそれを楽しむように!

季節は刻々と変化するから、美しいのです。


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【2007/11/09 17:35】 | “倖せ”の正体
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あるがまま
こんばんは、山川さん

この記事の前に“喜びと楽しみ”の違いについて書かれておられますが・・・

変化は楽しむものなのですね。

てっきり『変化は喜ぶもの』かと思いました。


福地海
そうですね。
変化そのものが、直ぐに「喜び」には繋がらないのかもしれません。

でも、「楽しむ姿勢」の中から、「喜び」が生まれてくるかもしれませんね。
「喜び」ってじわーっと湧いてくるものかもしれないですね。
実感するのに多少時間がかかるかもしれないです。

参考;新約聖書へブル人への手紙12:11
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし、後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。」

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「喜びと楽しみの違い」part2

こういう場面を想像してみましょう。
あなたの大切な人が、大学入試に合格したときに、こういう言葉が出てくるかもしれません。

「君が、合格して本当に嬉しい、喜びで胸がいっぱいだ!これから大学生活をうんと楽しみなさいね!」

この台詞からもわかるように、嬉しがったり、喜びに満たされたのは「私」、楽しむのは合格した「本人」です。
このように他人のために喜べても、楽しむことはできません。つまり、喜びは人間関係に深く関わっていますが、楽しみは全く個人的なものだともいえます。

「喜び」には、その人の考え、意志、思想、生き方などの内的要因が反映されていて、それは理性に直結しています。そのため、喜びは比較的長期的な気持ち、そして深い感情です。また愛や友情と関わる感情です。

それに比べると、「楽しみ」は、その人の比較的浅いところにある感情と直結しています。嗜好(しこう)、興奮、快楽などに関わる外的要因が反映されていて、短期的な気持ちです。そして、肉体的な喜び、あるいは欲と関わる感情といえます。

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【2007/04/17 00:57】 | “倖せ”の正体
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こういうヒーロー映画の場面を想像してみてください。
銀行強盗が人質をとって立てこもっています。主人公のあなたは、人質になっている大切な人の身代わりになるために、犯人にこう言うのです。

「その人を放してください、私が喜んで身代わりになります。」この場面は、ヒーロー映画ではよくあるパターンですよね。

この台詞の、「喜び」を「楽しみ」に換えてみましょう。
「その人を放してください、私が楽しんで身代わりになります。」
これでは、マゾ系の変態映画になってしまいますよね。

このように、愛する者のために喜んで死ねる人はいても、楽しんで死ねる人はいないと思います。「楽しみ」は、およそ苦しみや苦痛とは相成れませんが、「喜び」は、たとえ外的苦しみの中であっても、内から湧き出るものだといえます。

これが、喜びと楽しみの違いの一つです。

次回、また違いを述べたいと思います。

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【2007/04/13 12:29】 | “倖せ”の正体
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「人生の目的とは?」

簡単に言ってしまえば、みんな倖せになりたいために生きているということです。
ただ、その倖せの正体が漠然としているため、右往左往しながら道に迷っている状態なんだと思います。

だから、倖せになるために、泥棒は盗み。
倖せになるために、強盗は金を奪う。
それがあれば、倖せになれるものだと、勘違いをして犯罪を犯してしまいます。

その一番の、原因は、倖せが何であるかがわかっていないからです。

倖せを別の言葉で言えば、「喜び」です。人はみな喜びを得るために生きています。

そこで、勘違いが起こるのです。何と間違えるのか?それは、「楽しみ」です。

「喜び」と「楽しみ」は違うものなのです。それを混同してしまったために、人生の悲劇が起こったりするのです。


次回、その違いについて述べます。

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【2007/04/09 14:00】 | “倖せ”の正体
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倖せの材料集めばかりしないでください!


 倖せの材料とは、「これがあれば倖せだと思えるもの」です。すなわち、お金、財産、仕事の成功、地位、名誉、権力、知識、技能、教養、趣味、楽しみ、娯楽、健康、美容、付合い、恋愛など数え上げれば限りがありません。


  いくら材料を集めたって、倖せが何であるかが分かってないと、宝の持ち腐れになってしまいます。全てを持っている裕福な家庭が、みんな倖せとは限らないのです。逆もしかり。


  例えば、「家」を建てる場合、ブロックや鉄筋、材木など建築資材から集める人はまずいません。初めにすることは、漠然としている我が家の夢を、設計図という具体的なものにしていくことです。


  「倖せ」も初めは漠然とした夢のようなものです。材料を集める前に、倖せの設計図を作り、すなわちその正体を知り、材料を活かす方法を知ることが大切です。


 



これから、じっくりと「倖せ」の正体を明らかにしていこうと思います。




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【2007/04/06 16:40】 | “倖せ”の正体
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「楽しみ」で人生を満たせば、心が虚しくなり

「喜び」で心を満たせば、人生が楽しくなります




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【2007/03/18 23:38】 | メッセー詩”
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「砂の中の宝」



人の夢や希望を「人生の宝」と呼ぶならば
 
その宝はきっと砂の中にあるのです
それもちょっと掘ればすぐ届く場所に

でも、この世は大きな砂漠
いつも時間という風が吹いているのです
時には嵐のように
時にはそよ風のように
そして毎日の雑事という砂粒を運んで来るのです

その雑事に埋もれるならば
宝はどんどん 砂中深くなっていくのです
その雑事をこなすだけでも
宝は出てきません

日ごと風に吹かれてやってくる
雑事の砂粒を 払いのけ
毎日一粒でも 掘り進むならば
やがて 宝が出てくるのです

何の宝が出てくるのか
それは あなたが夢見た宝です



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【2007/03/18 02:00】 | メッセー詩”
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